今回はフィギュアスケートでオリンピック日本代表に選ばれた高橋成美選手の内面に迫ります。
いつも明るい高橋選手がどんな考え方でどんな練習をして、世界で活躍する選手になったのか、お話を聞いてみました!
I love スケートという熱い想いがあった
お姉様の影響から3歳よりキャリアを積んできた高橋選手。
しかし、意外にも上達したきっかけは「スケート以外のものに触れたことだった」のだそうです。
バレエ・トランポリン・演劇に音楽やダンス。一見関係ないことのように感じられますが、それらに取り組んだことで「スケートが全体的に上手くなりました」とのこと。
実際にアスリートの中には、高橋選手だけに限らず幼少期から様々なスポーツやなどを経験することで、高いパフォーマンスを発揮する、ということは良くあります。
高橋選手も、バレエやトランポリン、演劇に音楽やダンスといった「表現」することを見て学んだことによって、スケートが上達したのでしょう。
特にフィギュアスケートの中でも「ペア」は特殊な競技の一つ。パートナー同士の息を合わせて演技をしなければなりません。特に男性は女性を投げ、また自分もジャンプをしなければならないこともあるために、筋力とコアマッスルが要求されます。
一方で女性も体重が軽くかつ、しっかりとしたコアマッスルを含めて、危険な技も伴うために勇気と何事も恐れない心が大切である、と高橋選手は説きます。
「生まれつき高いところが怖くない、クレイジーな性格でした」という性格と、スケートリンクの外でも身体のケアやメンタルのトレーニングを怠らなかった努力。
そして「I love スケート」という程スケートへの熱い想いが、練習へと繋がり、そして世界選手権という大きな舞台で高橋選手を輝かせたのでしょうね!
「挫折は怪我をするたびにありました」
多くのアスリートがぶつかる「挫折」という大きな壁。こちらに話を移しますと、一瞬だけ目線を下げてからこのように振り返ります。
それは直後の試合だけに限らず、そこから取り戻すためにどのぐらいかかるのかという不安、ライバルたちの上達という焦り。スケートリンクでの練習が1日出来なくなるだけでも大きな差になることを知っている恐怖感。
怪我をしていた時や現役時代には「無我夢中で何も考えられなかった」と振り返る高橋選手ですが、1日や2日結果が出なかったとしても自分が正しいと思ったトレーニングをこつこつとやり続けることを大切にしてきたそうです。
その一方でその挫折があったからこそ乗り越えるためのバネとなった。このようにも振り返ります。今では「いい経験となった」と振り返る高橋選手。
怪我が治った時にやり続けてきたことで「挫折からの復帰で培ったさらに成長した自分がいました」と振り返ります。
身長146センチしかない高橋選手にとって、表現を行う上で体への負担は想像を絶することは間違いありません。そこにはやはり「I love スケート」という熱い想いと自分を信じる強い力があったからこそ、こうしてオリンピックという舞台へと彼女を導いたのでしょう。
表現を追求していきたい
「今、自分が目指しているのは女優です」と話す高橋選手。アスリートとして培った忍耐力や勉強してきた様々な経験を活かしつつ、新しい自分を見つけ出そうと思い始めたのだとか。
「体を使い、声を使い、表情を使って、表現する世界に入り込んでいきたいと思っています」と語ります。
また、自らフィギュアスケートで世界の舞台に立った経験から、世界を目指す選手にもエールをくださいました。
「人に惑わされない、周りに惑わされないで自分がやるべきことを考えて練習していってほしいです」と語ります。
それは、高橋選手自らも周囲の成長からの焦りに苛まれたからこそ、その言葉は力強く感じられました。
強く自分を信じる、ということが求められるフィギュアスケート界において、特にペアという二人で行う競技で栄光も挫折も味わった高橋選手が、次のステージでも活躍するのを期待したいですね。
次回は、高橋選手がフィギュアスケートで重要な「ジャンプ」のポイントと、実際に高橋選手のジャンプを見ながら解説をしていきます! お楽しみに!
プロフィール 高橋成美 千葉県出身。3歳からフィギュアスケートを始め、12歳でペアに転向。 2010年に北京で行われたジュニアグランプリで日本人ペアとして史上初の金メダルを獲得。 シニアに転向後も世界選手権でペアの選手としては、日本人選手として初の銅メダルを獲得。 2008年から14年まで日本選手権では7連覇も達成するなど、国内屈指のペアスケーターとして名を馳せた。 ソチオリンピックの日本代表選手に選出されるなど、輝かしい活躍を見せた選手の一人で、2018年に現役を引退し、2020年より松竹芸能に所属。