【12月超会議レポート】スポーツの魅力は楽しい事!マイナーからメジャーに発展したサッカーに学ぼう

テレビで流れているスポーツの中継を見ていると、その知識がないものについて私たちはつい「?」となってしまいがち。特に普段触れることのない競技であれば尚更ですよね。

そんな時に私たちが楽しめるように彩を添えてくださるのは、スポーツ中継の実況解説の方々。そんな解説者のお話を聞いてみるというのも、またスポーツへの知識を深める上ではとても重要ですよね。

そこで今回は、11月のカタールワールドカップでも活躍が期待される人気解説者でもある山野孝義さんにお越しいただきました。

山野さんの解説はどのようにして生まれたのか

実はサッカーが現在のような立ち位置になったのはここ30年。言わば「マイナースポーツ」の一つでしかありませんでした。

そんな時代に、山野さんがサッカー選手を志したのが、1968年にメキシコシティオリンピックで日本代表が銅メダルを獲得したこと。後に実業団の先輩ともなる、伝説的な点取り屋の釜本邦成さんや「20万ドルの左足」と称された杉山隆一さんの活躍を見て「これだけの歓声の中でやれるスポーツはサッカーだけかな」と思った事だったそうです。

ですが、当時の日本サッカーではどちらかと言えばオリンピックが優先で、ワールドカップは二の次といった状況になっていたのもあり、あくまで企業スポーツという立ち位置がそう変わることはありませんでした。

とはいえその中でも、先輩の釜本さんとプレーできたこと、各カテゴリーで優勝できたこと。そして日本代表でも戦った経験も大きかったことがうかがえます。

高校時代ユースの世代として、J1リーグ通算最多勝利監督である西野朗さんにメガネの指揮官と呼ばれた岡田武史さんとプレー。山野さんはそうした経験などを振り返りながら「負けられないとか、そういう気持ちになりましたね」と振り返っていました。

西野さんは昨年までタイ代表監督としても指揮を執り、岡田さんはまた違った方面からサッカーの発展に尽くし、山野さんは解説者として活躍されています。これもまた、山野さんの言う「人と人との縁」がそれぞれつながった形なのかもしれませんね。

ですが、それは「仕方なくだった」のだそうです。

というのも、山野さんはヤンマーを退職後に指導者の道に入るも行き詰まり、サラリーマンをしながら母校でサッカーのコーチをしていたのだそうです。その時、当時の恩師から「指導者になるためにはピチッと、サッカーの解説が出来ないと色んな選手に質問されてもすぐ答えることが出来ないと、指導者になれないよ」といわれたことがきっかけだったのだとか。

26年間の中で失敗などもあったという山野さんの解説ですが、自分の話し方を見つけるのには相当時間がかかったのだそうです。今でこそ柔らかな訛りの入った温和なしゃべり方をされていますが、どうしても標準語を意識してしまった時期もあったのだとか。

その中でNHK解説者の中でも数少ない関西弁を前面に出して解説をされる山野さんは、際立つようになっていったのは不思議では無いのかもしれません。

今から10年前でしょうか。南アフリカワールドカップで山野さんの解説を拝聴していましたが、選手の良いプレーを褒め穏やかな語り口で称賛される解説は一視聴者としても楽しみにしていたのをよく覚えています。

解説者の方でも、お祭り騒ぎのような解説をされることで有名な松木安太郎さんとセルジオ越後さん、時折ダジャレを交えた解説でも知られる早野宏史さん。深いサッカーの知識を有している戸田和幸さんに、スペインサッカーへの造詣が深いジャーナリストの小澤一郎さん。

様々な方が多く居る中で、山野さんのような人間味あふれる解説というのもまた、サッカーの魅力を深く届けてくださっているのがとても良く分かります!

サッカーが「文化」になって行くまで

山野さんがユース世代で日本代表だった時の写真。上段左端が西野朗さんで、その隣に岡田武史さん。山野さんは下段の右から二番目

日本リーグというそれこそキャプテン翼でしか聴いたことのないような時代からのサッカーを知っている山野さん。当時岡田さんや西野さんたちと撮影された集合写真が出ている中で、今と昔で何が違うのかと訊かれて「まずこんな思い思いの服装では写真撮らないですよ」と語ります。

現在の代表では練習着を含めてすべて同じものが提供されており、しっかりと整列し、かつチームとして同じ方向を向いているのが良く分かりますよね。そして目標という形でも大きく異なっていたことも伺えます。そもそも、サッカーをやることでお金をもらえるという時代ではなかったというのもあったのかもしれません。

それが1993年5月15日にJリーグとして発足し、選手がサッカーでお金をもらうことができるようになり、外国人指導者の方も多く来日するようになって選手やファンが取り巻く環境も大きく変わって行きました。

当時のJリーグには現在のイニエスタと同じくらいすごい選手が多く来日したことも記憶に新しいところです。イングランド代表のリネカー、日本代表監督まで務めたジーコ、ピクシーと呼ばれ愛されたストイコヴィッチに闘将・ドゥンガ。身体能力は反則レベルと言われたエムボマ、西ドイツでワールドカップを制覇したブッフバルトという選手もいました。

こうした、話題を集めた選手たちの来日も多くのファンの心をつかむに至ったのでしょう。

芥川賞作家でもある津村記久子さんは、サッカーのサポーターの心情を描いた小説を出版し話題となりました。

また、浦和レッドダイヤモンズは、敵地で観客が相手チームより多かったとしても声量では負けないと言われるほど熱い声援を送ることで有名。実際に2017年にはアメリカ『フォックス・スポーツ』による「最も筋金入りのファンを持つ5クラブ」にまで選ばれたほどですし、浦和の街ではサッカーに興味なさそうな女子高校生でさえサッカー談議ができるなどという噂もあるくらいです。

もちろん、お金という面が重要なことは否めません。とはいえ、他のスポーツがどのようにすれば発展していくことができると山野さんは考えていらっしゃるのでしょうか。

アマチュアという考え方も大切

山野さんは「好きだからこそもっと集中してやりたい、っていうのがあると思うんですね」と前置きをしたうえで、今のJリーグの選手たちは早くに引退を決意される方も多い事を指摘します。

実際にJリーグでプロ契約をしたときの最低年俸は480万円。出場機会を保障されているわけでも無く、またJトップレベルの選手や海外で活躍する選手という事を考えた時、篩にかけられていくとその枠はどんどん小さくなっていくのは明白です。

しかし、一方でHONDA FCやソニー仙台といったJFLで根を張り、アマチュアチームとして頑張ると宣言するチームがあるのも事実です。実際にHONDA FCは天皇杯でJリーグのチームを打ち破りベスト8まで勝ち進んだ大会もあるなど現在もアマチュアの雄として名を馳せています。

野球でも「ミスター社会人野球」と呼ばれた杉浦正則さんや、西郷泰之さんといったプロへと進まずとも名をはせた選手は多くいらっしゃいます。

山野さんは「そうしたチームがある、というのも重要なのでは」と語ります。

すそ野を広げる、という点でやはりアマチュアという存在は不可欠です。実際に野球や相撲は戦前から様々な方々に親しまれていたというのもありますし、Bリーグや箱根駅伝が今愛されているのはコンテンツの魅力以上に各カテゴリーにおいて指導されているアマチュア指導者の方々の賜物であることは間違いありません。

サッカーもまた、セルジオ越後さんが「さわやかサッカー教室」で全国津々浦々に出向きサッカー指導を行ったり、キャプテン翼などのサッカー漫画の流行などもあったこと。そして指導者の方々の尽力。これを忘れてはいけませんよね。

それを考えると、サッカーが抱えている課題から色々なスポーツがどう発展していくべきかという一つの意見として興味深いものでした。

講演を通して

山野さんはこれからの活動について聞かれると「サッカーボールを初めて見る人に、これがサッカーなんですよということを伝えられる人になりたい」とお話されました。そして、スタジアムでぜひともサッカーを見てほしいということをお話してくださいました。

埼玉スタジアムのサポーター席から見た景色。ピッチってこんなに広いんです。

特にサッカーはボール近辺だけではなく、ボールが動いていない部分でも様々な駆け引きや動きが要求されるスポーツです。私が言うのも難ですが、スタジアムの試合開始前でも食べ物なども充実していますし、とてもエンターテインメントとしても考えられていると感じます(いかんせん交通アクセスに難がありますが……)。

だからこそ、山野さんは長くボールを蹴りながら(指導者などでサッカーの現場に携わりながら)、解説も行って行きたいと考えているそうです。

現在ではサッカーの楽しみ方一つとってもYouTubeでの解説動画やプレー集を集めた動画、ウイニングイレブンやFIFAシリーズのようなテレビゲーム、またやっていた選手たちが現役を引退後もシニアチームで楽しむことができるなどとても幅広いものとなっています。

もしかしますと、他の競技も別の角度から「楽しい」と思わせる物を見せることが出来たら大きく発展していくのかもしれませんね。

改めて、ワールドカップがとても楽しみになる機会となりました。時差としては6時間となる日本とカタール。ぜひ、山野さんの解説も楽しみにしたいですね!

山野さん、素敵なお話をありがとうございました!