【9月超会議レポート】アスリートが目指すことと、「与えることができるもの」とは。

先日行われました東京オリンピック。少しばかり別世界のような印象さえ覚えましたが、多くの選手が躍動し、感動をいただきましたよね。私も男子マラソンで大迫傑選手が現役ラストとなる走りをテレビで観戦することが出来て、本当に良かったと思っております。

さて、オリンピックも終わってしまうとアスリートはそれで「終わり」という訳ではありません。どんなアスリートにもきっかけがあり、そして目指すべき存在がいて、そしてやがては未来のアスリートや多くの人たちに「何かを与える」。

そうして繋がっていくことができるんですね。今回は、オリンピック出場経験を持ち、かつ現在はオリンピックアスリートのまとめ役を行っている方をゲストにお呼びしました。

フェンシング・ロサンゼルスオリンピック日本代表、日本オリンピアンズ協会理事の東伸行さん。なぜアスリートとなったのか、そしてオリンピック選手として活躍後にアスリートサポートを行っている現在の事など様々お話をお聞きしました!

スポーツが繋げたもの

東さんがオリンピックを目指したきっかけとなったのはちょっとしたことから。

たまたま、転校してきた同級生に水泳で勝ったことで「どこのスイミングスクール出身なの?」と言われたことをきっかけにして「水泳でオリンピックに出ます」と卒業文集に書いていたことなどもあり、元からオリンピックへの憧憬があったのかもしれませんね。

それからフェンシングと出会ったのが高校の時。

ご両親が「大学までついているから安心では」という理由で名古屋電気高校(現:愛知工業大学名電高校)に進学し、そこでフェンシングと巡り合いました。

やがてオリンピックが身近となって行ったのは、1979年に参加したユニバーシアードに参加した際のこと。オリンピックというものが身近な存在になり、1980年のモスクワオリンピックに西側諸国が参加ボイコットをしたことによってさらにオリンピックというのを強く意識するようになったのだそうです。

モスクワでの西側諸国のボイコット、報復するように4年後のロサンゼルスでは東側諸国のボイコット。東さんが参加した際にはナディア・コマネチさんも東欧から唯一参加したルーマニア代表の一人として一緒に食事をしたというオリンピックだからこその経験もされたのだとか(のちにコマネチさんはアメリカに亡命します)。

そうした経験を活かし、現役を引退後は和歌山県教育委員会に所属しながらもアスリートをサポートするために国際審判員を経験し、ジュニアアスリートの育成、車いすフェンシングのコーチング・国際審判員の活動も行い、今回東京オリンピックの組織委員会からパラリンピックの開会宣言を行うことに。

「英語だったらどうしよう」と緊張をされたそうですが、日本語でも問題なかったとのこと見事にその大役をこなされました。

徐々にオリンピックという存在が身近になって行く中で、一つの競技へと真摯に向き合われてきた東さんの積み重ねと時間の重みを強く感じる。そんな東さんの経歴と形を、私自身も感じました。

そしてオリンピックはスポーツを通して友情を築くことができる、と力説します。今回の東京オリンピック・パラリンピックも大会関係者からは「日本じゃないと出来なかった」と称賛され、多様性という一つのテーマの中でも非常に大きな意義を持ったのではないか、と東さんはお話をされておりました。

もしオリンピックを開催していなかったら……。という意見は今でもあります。果たして本当に開催した意味があったのか、ということは恐らく何年か経たないと分からない事でしょう。

しかし、1980年にモスクワオリンピックを日本がボイコットして以降、各競技は下降線を辿るようになりました。今回八村塁選手などで話題になったバスケットボールは「開催国枠」さえ無くなっていたかもわかりません。

オリンピックを開催したということで、多くのアスリートにとっては少なくとも「開催をされたことで繋げられるものがあった」。私は今現時点でそのように考えております。個人的には多くの人たちが日本という国に来てほしかったですが、こればかりは致し方ないですね。ですが、オリンピックで得ることが出来た教訓、また日本という国だからこそ表現できたこと。これらを活かす機会はまだまだ残されております。

2025年の万国博覧会は大阪で行われますし、2030年の冬季オリンピックは札幌市が立候補をしております。コロナウイルスの状況は不透明ではありますが、外国の方々が日本へと来訪される機会はまだまだこれから沢山あります。

その際にはまた手と手を取り合って友情を築くことのできる機会となるようにしていきたいですよね。

スポーツが秘めている「力」とは?

現在、東さんは長く携わって来られたフェンシングを子供たちに普及する活動も行われております。だからこそ、指導者としてスポーツの楽しさを教える。そして、人間としても豊かになって行くという事が大切と力説します。

「子供たちには早くにその楽しさを覚えてもらわないと。フェンシングやる前に筋力トレーニングをさせて……。それでは離れて行ってしまいますよね。ですから、早い段階で子供たちに伝えるよりも私たち指導者がいかに楽しさを伝えられることが求められているような気がします」

実際に東さんの息子さんも途中にフェンシングからバスケットボールでプレーしていたものの、その後高校からはまたフェンシングを始めたとのこと。そうした他のスポーツを経験することで得られる物というのもとても大切だということなんですね。

そのスポーツを経験、楽しさを伝えていくためにもSNSなどを通した発信は不可欠で、そうした発信をしていく事でマイナー競技はまだまだ広がって行くとも力説しておりました。そしてその信念はスポーツというものが持っている可能性を東さんご自身も信じているから。

「多くの人々に活力を与えられると私は信じております。特に車いすフェンシングでは四肢切断者に頸椎損傷者……。そうした人たちは言葉は悪いですが『人生死んでいる』と語っているんですね。だけど、スポーツをすることによって第二の人生が始まったというんですね。だから、その方たちにぼくは競技力を付けてほしい。そうすればその人が喜んでもらえるし、家族や友人も喜んでもらえる。障害者のコミュニティーにも活力を与えられる。スポーツというのは一つのツールとして、大きな物を持っていると思っております」

健常者だけでなく、障害者の人たちでもスポーツで一番になるために努力されて来た姿を見てこられた東さんだからこその言葉の重みを感じました。また、障害者の方々がなぜそうなったのかというストーリー、想い。そうした物もパラリンピックを通して語られたことで、多様性という面でも大きな意義があったと今回のパラリンピックについてもまた、東さんがお話されていたのは印象的でした。

実際、スポーツを通した多様性という点で印象深いエピソードがあります。

それはロジャー・フェデラーがかつて「日本のテニスがあなたのような選手が出てこないのはなぜ?」と記者会見で訊かれた時のことです。フェデラーはこのように返したそうです。

「日本にはシンゴがいるじゃないか」。

そのシンゴとは、今回の東京オリンピックでも大活躍だった国枝慎吾選手のこと。

車いすテニスでグランドスラムを何度も獲得し、オリンピックでも金メダルは4つを数える国枝選手を「世界一のテニスプレイヤー」としてフェデラーは認めていたのですね。

多様性とは少し異なるのかもしれませんが、スポーツという一つの分野で頂点に立った人として認められているのは素晴らしいことですよね。それもまた、スポーツが持つ一つの力なのでしょう。

まとめ

「次のオリンピックまでの限られた時間の中で、練習をしたり故障を抱えた選手はその治療をしたり。それによって周りのサポートしている人たちの存在があって、最高のパフォーマンスをしてもらって。そうすることでより良い社会になって行けるのかな。というのがぼくの想いですね」

真剣に、スポーツを通して世の中が良くなるのだという事を力説し、その深くて強い信念を文字起こしを通して何度も感じさせられました。実際にスポーツによって生まれてしまった悲しい事故は海外の歴史から見ると多くあります。サッカーなどでは黒人差別やアジア人差別を平然と行う人たちは現在に至るまで存在していることに目を背けてはなりません。

しかしながら、今回の東京オリンピックのように。そして時には内戦を中断させるほどの出来事が起きるように。何よりもスポーツの可能性を強く信じて伝えていく。

私たちにはそれを行うことこそが、未来のアスリートを生み、そして次世代へのバトンタッチを行うために求められていることなのかもしれません。

今回はとても長くなってしまいましたが、とても重くまた深い学びとなる機会になりました。東さん、とても素敵なお話をありがとうございました!