【7月超会議レポート】アスリートだからこそできるエンターテイメントの世界とは?

一般的にスポーツを「エンターテイメント」とというジャンルで見る人は決して多くありません。そうした視点を語ると「サーカスのライオンと神聖なるスポーツを一緒に考えるな!」なんて人も出てくるくらいですからね(これはボクシングジムを運営されている方から言われた本当の話です)

ですが、個人的にはスポーツこそもっともエンタメとしての可能性を秘めており、またアスリートはそういう点で大変素晴らしいポテンシャルを秘めていると称しても過言ではないでしょう。

エンタメとしてのスポーツを考えるとき、やはりそれをされている方にお話を聞くのがベストですよね。ということで、7月にかつてテレビでも大活躍をされた池谷直樹さんにご登壇いただきました!

池谷さんはお兄さんの幸雄さんと共に体操選手として活躍。現役を引退されてからは「スポーツマンNo.1決定戦」にてプロアスリートおよび芸能人の両部門において優勝を達成。MONSTER BOXでは世界記録保持者としても知られておりました。

現在は、株式会社サムライ・ロック・オーケストラを経営。元アスリート・ダンサーなどで構成されたメンバーにて筋肉と技でストーリーを表現する台詞の無いミュージカルの公演を全国各地で行っております。

そんな池谷さんだからこそ語るスポーツとエンターテイメントの世界とは。

アスリートが社会で生きるという「難しさ」

スポーツマンNo.1決定戦というお正月の特番、それも池谷さんという個人をピックアップして紹介してもらえる状況。10年も続いたということであることが出来た知名度。そういうものを活かして、今も活動をされていると自己紹介をされた池谷さん。

芸能という世界に飛び込み、現在に至るまで活躍されております。が、MONSTER BOXでの活躍などを含めても名前を覚えてもらうことの大変さを身に染みて感じていたようです。スポーツの世界から芸能界へと飛び込む方が多いという一方で、生き残るということがとてもシビアな物でそこには運も当然必要と力説をしておりました。

実際にタレントさんを始めとするテレビで活躍をされている方や、アスリートが成功をする確率は本当にひと握り。そこには大きなことを成し遂げたからこその、言葉の重みも感じました。

ではなぜ、サムライ・ロック・オーケストラを運営しているのでしょうか。そこには実に池谷さん独自の考えから来る、アスリートのセカンドキャリア支援があったのです。

「平たく言うと、体操選手がバック転や宙がえりをして飯を食っていけるような、環境を作りたいということなんです」

実に明快で思わず膝を打つような感覚になったのは、恐らく池谷さんがそうした経歴を辿られたからこそなのだ、と思います。体操選手としての活躍はもちろんですが、池谷さんはまさに「自らがアスリートとして培ってきた物で、多くの人に名前を覚えてもらった」ということ。

だからこそ池谷さんが「日本版シルクドゥソレイユ」という現在のサムライ・ロック・オーケストラのようにセリフが無くても楽しめるエンターテイメントを作り出し、そしてアスリートの方の「受け皿」として活動もされているというわけなんですね!

一方で、池谷さんはそれが難しいという事を噛みしめながら語ってくださいました。人生で一番楽だったのが「実業団で現役選手として活動していた頃」と振り返るように、社会に出ると様々な事を自分でしなければなりません。いわゆる自己責任が多く生まれるわけです。実際に元プロ野球選手で現在はタレント・スポーツライターとしても活躍される高森勇旗さんもその難しさを語るように、あれもこれもとやらなければならないというのは想像を絶するものがあります。

それでも、そのような活動をしていることを「自分の運命だから」と語る姿は少しでもアスリートのセカンドキャリアを良くしたいという想いも感じさせるものでした。

「動いていかないとダメ」

後半戦は、息子さん匠翔さんの話から始まります。既に19歳ながらも現在地方競馬の騎手として活躍されている匠翔さんが置かれている環境と、かつて池谷さんが置かれていた環境。こうした物の違いをしみじみと語ってくれました。

「彼らって新人戦でメダルをもらえるんですけれど、そのメダルは純金なんですよ。自分が貰ったメダル、メッキですよ。そこが面白いなと思ったんです。競技一つ違うだけで、それだけのお金が動く、ということなんです。やっぱりその組織自体がお金を持っている。これが、アマチュアとプロの違いなんですよね」

そこから、池谷さんは子を持つ「親」として、そしてそこから見たスポーツ業界としての課題を噛みしめるように語ります。池谷さんのお子様も、そうした世界の中で様々な価値観に触れて、学び成長を遂げているという事を感じながら「行動しないとダメ」と語ります。

「フィギュアは頑張っているよね。水泳も頑張っている。ただ、これが体操だとどうでしょうか? 体操選手をメディアで見たことあります? NHKで流れているようではダメ。民放に出ないと。メディアが食いついてくれるような価値があるわけじゃないですか。マイナースポーツの方々はどうやったらできるのか? 東京オリンピックはそうしたチャンスだと思いますね」

確かに、東京オリンピックは国を挙げての施策となり、多くの会社がスポンサーとして選手や大会をサポートしておりました。そうしたバックにある物事や誰がサポートしているのかという事も大切と説いておりました。

「動くのって大変なんだよね。大変なんだけれど、誰かが動かなければいつまでたっても普及しないんですよ。それをどうやって行くかを考えないと」

この話を聞いて思い出したのがバスケットボールの過去に実際にあった話です。昔、こんなことがありました。

成長を拒んだ結果

それは今から30年前、スラムダンクがブームになった時のことです。集英社に日本バスケットボール協会からこのような公式文書が届きました。

バスケットを変な目で見られる。非常に迷惑だ

※もちろんスラムダンクはれっきとした少年漫画であり、変な漫画ではないということは明記しておきます。

また、スラムダンクが流行した台湾や韓国ではバスケットボール代表の強化が進んでしまったなんて事があるくらい影響力はありました。

結果、キャプテン翼を始めとする様々なサッカー漫画のブームに乗っかって改革をしたサッカーとは異なり、2007年にはJOC(日本オリンピック委員会)から、2015年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)からの無期限資格停止処分が下されるまでになってしまいました。

もちろん、上記の文書だけが全てではなく様々な要因がそこにはあるのですが、本来存在していたチャンスなどを蔑ろにしてしまったことによって、バスケットボールは本来より進化しても不思議ではなかった30年という年月を無駄にしてしまったのです。

もっと言えば、今回の東京オリンピックで女子バスケが金メダルを獲得していたかもしれないのです。

あれだけNBAが騒がれていたのに、中継が無いのも不思議で仕方がなかったのですけどね。自分としては一度で良いですからマイケル・ジョーダンの活躍をリアルタイムで見てみたかった。それが残念です。

行動をせずに、成長を拒み続けるとこうなるということが良く分かります。

今まさにその「失われた30年」を取り戻すために、様々な方々の尽力によってバスケットボールが強くなり、そして普及に尽くされている方々には頭が上がりません。

「力」のある所に自ら飛び込み、そして形にしていく。もちろんそれは本当に運にも左右されてしまうような物事であることは否めません。ですが、諦めなかった人たちの下にしかビッグチャンスやラッキーは飛び込んでこないのです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

池谷さんのざっくばらんな会話と様々な世界を見てこられたからこその視点。それが様々考えさせられることの多い機会となった。そのように思います。

「話し合ったことをそこで終わらせずに行動に移さないと」。

その言葉はどのような物事にも、もちろん自分にとっても耳の痛い話でした。変わる事、そして行動する事、そしてそれによる痛みが伴う事。その「痛み」は決して望ましい事ではないのかもしれない。ですが、成長をしようと挑み行動する事。「少しでも良くしたい」と考えることが何よりも人を成長させ、そして物事においてプラスになる事を池谷さんは教えてくださいました。

中々サムライ・ロック・オーケストラにお伺いできるような状況でも無いのですが、自分もお時間がある際には是非お伺いできると良いな。そんなことも思いました。

池谷さん、貴重なお話をありがとうございました!