「継続は力なり!」

アスリートにとってセカンドキャリアはとても大切なものです。特にそれ一筋で取り組んできた方ならば尚のこと。

今回は15社のオーナーを務める起業家の大木貴之さんにインタビュー。

バレーボール選手だった大木さんの現役時代について聞かせていただきました!

モテたくて始めたバレーボール

 大木さんがバレーボールを始めたきっかけは、中学校に入学してきた際に「モテたい」と感じたからだったとか。当初はサッカー部に入っていたものの、頑張っている姿を見てもらえないと感じた大木さんは、友人とバレー部の見学を見に行きます。

 すると友人と一緒に見に行ったバレー部には女子がいたこと、「めっちゃ気になる子がいた」ということがきっかけとなりバレー部に入部。親御さんが経験者というわけでもなかった大木さんの栄光あるバレー人生は一風変わった形で始まりました。

 バレーボールは他の競技と比較しても競技の開始が遅くても大丈夫なスポーツの一つです。例えば全日本に選ばれて北京オリンピックなど世界大会にも選出されたゴッツこと石島雄介選手や山内晶大選手は高校からバレーボールを始めるなど、遅咲きの選手も多いのが特徴です。

 サッカーや野球、フィギュアスケートなどは神経の発達の関係上から幼少期から始める方が良いと言われております。特にゴールデンエイジと呼ばれる12歳までに運動神経は完全に形になるとまで言われており、殊更早くから始めることを勧められます。

 とはいっても、先天的な物ばかりでは決して大木さんの全てを語ることができるわけではありません。大木さんの類まれなるジャンプ力は果たしてどうやって身についたのか? こちらも今回は探って行きます。

気が付いたら跳べるようになっていた!?

 元々太っていたという高橋さん。ただ、バレーボール部に入部すると猛練習を重ねて今のようなスマートな体系に変貌を遂げます。それでも高橋さんはなぜ自分が120センチも跳べるような跳躍力を身に付けることができたのかがあまりはっきりとしていない様子でした。

「なんでかって言われると……太っていたところから痩せたからですかね?」と笑いながら話してくれた高橋さん。

 しかし、体重が軽くなった分だけそれまで身体を支えていた筋肉バネ飛躍的に向上した、とも言えそうですよね。

 また、大木さんは小学校時代に剣道に取り組んでいたとか。剣道では相手への攻撃の際には大きく、そして強く踏み出さなければなりません。その結果、足裏で強く踏み出すという力を培ったとも言えそうですね。

 その才能は「結構厳しい高校に行った」と思い返していたように、足利工業大学付属高校(現在の足利大学附属高校)での厳しいトレーニングによって2006年には全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会でも優勝を勝ち取ります。特に効果的だったと振り返るのは「階段ダッシュ」。ひたすら階段を登るトレーニングに取り組み、下半身の強化にいそしんだこともまた、跳躍力を生み出すこととなったのでしょうね!

 本格的に考え始めたのは大学に入学してからだという大木さん。やはり、もとからの素養とみずから強化していった姿勢、自分に合ったトレーニングを見つけてひたすらやって行ったこと。それらが全て結びつき、現在に至っていることが良く分かりました。

競技以外にやっていたスポーツは?

 とはいっても、バレーボールだけをやっていたわけではありませんでした。競技以外の練習を行うことによって、神経などにも良い影響が与えられますからね。現役時代、大木さんは練習で、サッカーにも取り組んでいたそうです。

 元々中学時代にはサッカー部にも入っていたからなのか、バランス感覚を養うためにも取り組んでいたそうです。

 以前、ブラジルのバレーボールの選手が、とっさにボールを蹴って拾ったことがありましたが、バレーボールではスパイクが時速130キロのスピードで叩きつけられると言われています。それだけの速度だからこそ、尚のこと反射神経が必要になってくるのでしょうね!

 自宅でもルーティンを決めてやっていた大木さん。太っていたという幼少期、厳しい高校と言われた中での練習と大学に入ってから色々と科学的に学びを深めたこと。自らの練習を信じて継続していたからこそ「継続は力なり」という言葉は深いと感じました!

まとめ

 言葉数は少ないながらも、継続することの大切さ、そして「(バレーボールは

楽しい」という言葉。第一線を退いた現在でもやりたくなるということもある程、楽しんで現役を退いた大木さん。

 強いバレーボール愛と積み上げてきた物に対する自信を感じさせるインタビューとなりました。その一方で、様々なことに目を向け現在15社での企業オーナーを務める大木さんの今に次回は迫って行きます!

 どうぞお楽しみに!

プロフィール

大木貴之

1988年栃木県生まれ。中学時代からバレーボールを始め、足利工業大学付属高校(現・足利大学附属高校)在学中に、さくらバレー(全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会)で優勝。

身長180センチながらも跳躍力を活かしたスパイクを活かし、宇都宮大学在学中からV・チャレンジリーグ、「つくばユナイテッドSun GAIA」に所属。

2007/08シーズンの最優秀新人賞を受賞。

2010年東レ・アローズに入団。以降、黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会など数々の公式戦で優勝を果たし、2017年にはV・プレミアリーグ、天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝。同年に退団し、株式会社SPECを立ち上げて代表取締役を務める。