怪我や故障。
これらはアスリートにとって避けて通ることのできない問題であり、また多くの将来を嘱望されたアスリートたちはそれによって夢を絶たれてきました。しかし、時代を経て今では故障したとしても決してあきらめる必要がなくなってきております。
11月はそんなアスリートの救世主ともいえる「ゴッドハンド」がご登壇。
近畿医療専門学校の創立者であり理事長、小林整骨院総院長でもある小林英健さんにお越しいただきました。
東京オリンピックにも携わった「ゴッドハンド」
リオデジャネイロ・東京と2大会に亘りオリンピック日本代表のトレーナーを務めてこられた小林さん。
とりわけ、今回の東京オリンピックには思い入れがあったようです。
「リオの時は一人だったのですが、その時に感じたのは圧倒的に選手の数が多かったこと。その一方でトレーナーの数が少ないことだったんですね。特に自分の携わったフェンシングでは代表選手20人に対してトレーナーは1人。それもあったので、合宿から治療院や教員など8名を連れて行きました」
その結果、男子エペでは初の金メダルを獲得し入賞も多数出る結果となったことは、きっと感慨深いものがあったことでしょう。
そのほかにも、現在小林さんは中学生・高校生といったジュニアアスリートにもケアの大切さを教えるために活動をされているということです。実際に、アスリートがケアの仕方を学ぶ事やケアをする人が居るのは大変重要ですよね。
先ほど挙げた選手たちも、現代くらいに身体のケアができている環境や人物が居れば、本当にもっともっと長く活躍することが出来たかもしれません。それを思うと小林さんの活動はとても意義深いものがありますよね。
「犠牲」を払って大きく成長してきた
そこまでに至るまで、小林さんは少し異色の経歴を持った方でもあります。銀行員だったという異色の経歴から整骨院開業をするという事を行い、その中で専門学校で教わらなかった施術などを学ぶために飛び回られていたのだそうです。
そうした中で、当然家族のことも蔑ろになってしまった。そのように振り返ります。ですが、成長のためにはそうしたリスクを取らなければならないと小林さんは説きます。
「犠牲を払うということは、今持っている物よりも更に良いものを手に入れるために必要な事。ですから、皆さんどんどん犠牲を払ってください!」
という言葉は、自分が新たに挑戦をしていくという過程の中でとても重要になると思いました。
そして、そうして会得したノウハウと様々な方との出会い。その中で事業を大きく成長させ、そうしたことから小林さんはどのような未来が良いかを考えたのだそうです。当然その中ではイラク戦争真っ只中の時代にイラクへと派遣されていた元自衛隊員の方から「自衛隊より厳しい」と言われるくらい厳しく接していたことで離れていってしまったということもありました。
そうした失敗の中で人の温かさに触れながら小林さんは多くのスタッフの方を育て、院を大きくして来られたのでしょう!
多くの人に慕われ、部下を育て続けてきた小林さんが更に専門学校を設立します。その経緯とは一体何があったのでしょうか。
大切なのは「何をしたいのか?」
それは小林さんが新人さんに教えていた際に感じていた「やっていなかったから分からない」という事。専門学校へと行けば資格は取得できます。しかしながら、そこからが大切なはずなのにその部分が欠落している人も多いのが事実です。
そこで「思い立ったら即行動」という形で専門学校を設立するために役所へと向かいました。
ペーパードライバーではない、真の意味での職業人としての専門学校を設立させたいと説得を行い、役所からも認可が下り、そして近畿医療専門学校が設立されたのだそうです。
「学校を作るのが大変だと思わなかったんですよ。この業界を良くしていきたい。だからどうしても作りたいんだという想いが大きくて」
いかに大変かやできるかできないかではない。何をしたいのか、やりたくないのかだけなんですという言葉もまた、強い想いから生まれた言葉のように感じられました。
かつて、高校サッカーで活躍した選手でなくプロからも見向きをされなかった中澤佑二さんもまた、そうした選手でした。
卒業後にJリーグへと売り込むために単身でブラジルに留学したものの、オファーが来ず。母校で練習をする中で東京ヴェルディに練習生として参加も当然無給。当時エースだった三浦知良選手に練習にて本気で挑んで怒らせてしまうと言ったこともありました。
全てを投げ打ってでもプロという場所で戦いたい。そうした想いが実り、高校卒業してから3年目となる1999年にヴェルディとプロ契約を交わし、日本を代表するサッカー選手へとステップアップをしていったのです。
彼もまた、小林さんと同じように悩み、葛藤し。その中でただ歩みを止めることをしなかったことが彼を日本代表にまで導き、南アフリカという地で躍動するに至ったのでしょうね。
小林さんもまた、業界を良くしようとされていたこと。その想いが揺るがなかったからこそ、大きな成功をおさめられたのですね。そして、小林さんは今も尚歩みを止めません。それはよりスポーツ業界が発展していくためにもとても重要なことです。
小林さんの想いは、まだまだ止まらない
選手にとって何かしらの故障などがあると、やはり医者としては手術を勧めるものです。しかし、医学的にはそれで完治したとしても実は違和感を持ったまま現役を続けるケースがあることを、見逃してはなりません。また、対症療法になりがちな西洋医学だけでは限界があることも事実ですよね。
近年ではダルビッシュ有選手が2015年に右ひじの靭帯断裂して以降、満足できるパフォーマンスをなかなか残すことが出来ませんでした。彼が満足できるパフォーマンスを残すことが出来たのは2019年以降。手術を一つ取っても、すぐに良くなってパフォーマンスが上がるという証明にはなりませんよね。
アスリートの体というのはいわば「特殊な身体」。人間の限界を超えるようなプレーをしている選手でも、手術をしてしまうことで限界を越えられなくなってしまう。だからこそ切らないで何とかできるようにしたい。
小林さんの熱い想いはまだまだそこに繋がっているのを感じますね。
だからこそ、スポーツ業界に鍼灸師や柔道整復師を増やしていくこと、そして医療連携をしていくことを小林さんは今やりたいことと語ります。
先ほど出したダルビッシュ選手もまた、セカンドオピニオン・サードオピニオンと多くのお医者さんに訊ね、手術の必要性を確認していたと聞きます。
アスリートにとって理想的な形で受けられる医療と、治療。こうしたものが出来上がってくると、更に日本のアスリートにもよりプラスになることが多いです。ぜひともプラスになっていくことと、小林さんの熱量から実現に至ってほしい。
そのようなことを思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
成功するまでの熱い想いとそれに伴う行動力。お話を聴きながら、自分自身ただただ圧倒されるばかりでした。
さて……。
2021年、皆様はどんな1年でしたでしょうか?
自分は様々思い悩むことも多かった1年でしたが、小林さんのような熱量。2022年は持って再スタートできればと思います!
皆さんも2022年が想いと熱量であふれた1年となりますように。
小林さん、本当に素敵なお話をありがとうございました!
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