怪我や故障。
これらはアスリートにとって避けて通ることのできない問題であり、また多くの将来を嘱望されたアスリートたちはそれによって夢を絶たれてきました。しかし、時代を経て今では故障したとしても決してあきらめる必要がなくなってきております。
11月はそんなアスリートの救世主ともいえる「ゴッドハンド」がご登壇。
近畿医療専門学校の創立者であり理事長、小林整骨院総院長でもある小林英健さんにお越しいただきました。
東京オリンピックにも携わった「ゴッドハンド」

リオデジャネイロ・東京と2大会に亘りオリンピック日本代表のトレーナーを務めてこられた小林さん。
とりわけ、今回の東京オリンピックには思い入れがあったようです。
「リオの時は一人だったのですが、その時に感じたのは圧倒的に選手の数が多かったこと。その一方でトレーナーの数が少ないことだったんですね。特に自分の携わったフェンシングでは代表選手20人に対してトレーナーは1人。それもあったので、合宿から治療院や教員など8名を連れて行きました」
その結果、男子エペでは初の金メダルを獲得し入賞も多数出る結果となったことは、きっと感慨深いものがあったことでしょう。
そのほかにも、現在小林さんは中学生・高校生といったジュニアアスリートにもケアの大切さを教えるために活動をされているということです。実際に、アスリートがケアの仕方を学ぶ事やケアをする人が居るのは大変重要ですよね。
先ほど挙げた選手たちも、現代くらいに身体のケアができている環境や人物が居れば、本当にもっともっと長く活躍することが出来たかもしれません。それを思うと小林さんの活動はとても意義深いものがありますよね。
「犠牲」を払って大きく成長してきた

そこまでに至るまで、小林さんは少し異色の経歴を持った方でもあります。銀行員だったという異色の経歴から整骨院開業をするという事を行い、その中で専門学校で教わらなかった施術などを学ぶために飛び回られていたのだそうです。
そうした中で、当然家族のことも蔑ろになってしまった。そのように振り返ります。ですが、成長のためにはそうしたリスクを取らなければならないと小林さんは説きます。
「犠牲を払うということは、今持っている物よりも更に良いものを手に入れるために必要な事。ですから、皆さんどんどん犠牲を払ってください!」
という言葉は、自分が新たに挑戦をしていくという過程の中でとても重要になると思いました。
そして、そうして会得したノウハウと様々な方との出会い。その中で事業を大きく成長させ、そうしたことから小林さんはどのような未来が良いかを考えたのだそうです。当然その中ではイラク戦争真っ只中の時代にイラクへと派遣されていた元自衛隊員の方から「自衛隊より厳しい」と言われるくらい厳しく接していたことで離れていってしまったということもありました。
そうした失敗の中で人の温かさに触れながら小林さんは多くのスタッフの方を育て、院を大きくして来られたのでしょう!
多くの人に慕われ、部下を育て続けてきた小林さんが更に専門学校を設立します。その経緯とは一体何があったのでしょうか。
大切なのは「何をしたいのか?」
それは小林さんが新人さんに教えていた際に感じていた「やっていなかったから分からない」という事。専門学校へと行けば資格は取得できます。しかしながら、そこからが大切なはずなのにその部分が欠落している人も多いのが事実です。
そこで「思い立ったら即行動」という形で専門学校を設立するために役所へと向かいました。
ペーパードライバーではない、真の意味での職業人としての専門学校を設立させたいと説得を行い、役所からも認可が下り、そして近畿医療専門学校が設立されたのだそうです。
「学校を作るのが大変だと思わなかったんですよ。この業界を良くしていきたい。だからどうしても作りたいんだという想いが大きくて」
いかに大変かやできるかできないかではない。何をしたいのか、やりたくないのかだけなんですという言葉もまた、強い想いから生まれた言葉のように感じられました。
かつて、高校サッカーで活躍した選手でなくプロからも見向きをされなかった中澤佑二さんもまた、そうした選手でした。
卒業後にJリーグへと売り込むために単身でブラジルに留学したものの、オファーが来ず。母校で練習をする中で東京ヴェルディに練習生として参加も当然無給。当時エースだった三浦知良選手に練習にて本気で挑んで怒らせてしまうと言ったこともありました。
全てを投げ打ってでもプロという場所で戦いたい。そうした想いが実り、高校卒業してから3年目となる1999年にヴェルディとプロ契約を交わし、日本を代表するサッカー選手へとステップアップをしていったのです。
彼もまた、小林さんと同じように悩み、葛藤し。その中でただ歩みを止めることをしなかったことが彼を日本代表にまで導き、南アフリカという地で躍動するに至ったのでしょうね。
小林さんもまた、業界を良くしようとされていたこと。その想いが揺るがなかったからこそ、大きな成功をおさめられたのですね。そして、小林さんは今も尚歩みを止めません。それはよりスポーツ業界が発展していくためにもとても重要なことです。
小林さんの想いは、まだまだ止まらない

選手にとって何かしらの故障などがあると、やはり医者としては手術を勧めるものです。しかし、医学的にはそれで完治したとしても実は違和感を持ったまま現役を続けるケースがあることを、見逃してはなりません。また、対症療法になりがちな西洋医学だけでは限界があることも事実ですよね。
近年ではダルビッシュ有選手が2015年に右ひじの靭帯断裂して以降、満足できるパフォーマンスをなかなか残すことが出来ませんでした。彼が満足できるパフォーマンスを残すことが出来たのは2019年以降。手術を一つ取っても、すぐに良くなってパフォーマンスが上がるという証明にはなりませんよね。
アスリートの体というのはいわば「特殊な身体」。人間の限界を超えるようなプレーをしている選手でも、手術をしてしまうことで限界を越えられなくなってしまう。だからこそ切らないで何とかできるようにしたい。
小林さんの熱い想いはまだまだそこに繋がっているのを感じますね。
だからこそ、スポーツ業界に鍼灸師や柔道整復師を増やしていくこと、そして医療連携をしていくことを小林さんは今やりたいことと語ります。
先ほど出したダルビッシュ選手もまた、セカンドオピニオン・サードオピニオンと多くのお医者さんに訊ね、手術の必要性を確認していたと聞きます。
アスリートにとって理想的な形で受けられる医療と、治療。こうしたものが出来上がってくると、更に日本のアスリートにもよりプラスになることが多いです。ぜひともプラスになっていくことと、小林さんの熱量から実現に至ってほしい。
そのようなことを思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
成功するまでの熱い想いとそれに伴う行動力。お話を聴きながら、自分自身ただただ圧倒されるばかりでした。
さて……。
2021年、皆様はどんな1年でしたでしょうか?
自分は様々思い悩むことも多かった1年でしたが、小林さんのような熱量。2022年は持って再スタートできればと思います!
皆さんも2022年が想いと熱量であふれた1年となりますように。
小林さん、本当に素敵なお話をありがとうございました!
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アスリートはお金がかかる。
これは何も今から始まった問題ではありませんよね。多くのスポンサーや実業団のサポートなどがあって初めて、選手は大きな舞台で輝くことが許されます。しかし、日本のアスリートを取り巻く環境というのは必ずしも実業団のサポート・あるいはスポンサーに恵まれているというわけではありません。
10月にお話していただきました、早稲田大学レスリング部監督の佐藤吏さん。なんと早稲田大学レスリング部としてスポンサー企業様が多く居るのだとか。その上で現在に至るまで、大学レスリング部でも屈指の強豪としても知られています。
今回は、自らスポンサー集めをしながら強豪チームとなった早稲田大学と佐藤さんに迫ります。
学生でもスポンサー集めができる秘訣とは?
先日、学生駅伝で隆盛を極める陸上長距離において衝撃的なニュースがありました。
八千代工業株式会社の陸上競技部の休部。実質的な廃部となるこの結果に、改めてアスリートを取り巻く環境が厳しくなっていることを突き付けられました。
いわゆる「メジャー」なスポーツでさえも、既にお金を投資する『価値』を見出すことが出来ないという事実がある中で、早稲田大学では「ワセダモデル」として30社以上の企業からの協賛を得ております。

早稲田大学の方針としてもOB会や大学に頼ることなく、自前でスポンサー契約を結ぶようになっている環境なども手伝い、スポンサー企業として多くの協賛を得ることが出来ているようなのです。
何やら活動そのものが「プロチーム」のような印象さえ覚えます。
しかも、これは早稲田大学の学生さんたちがスポンサー集めをしているのです。そのためか、入部してきた当初は面食らっていた部員も多かったそうです。
「でも今は、ゲーム感覚で楽しんでやっている学生が多いですね」と笑顔を交えて語る佐藤さん。アスリートにとって現役を続けるよりも現役引退後の生活のほうがはるかに長いもの。その「ゲーム感覚」の中にも社会との接点を持たせるという意味でとても大きな経験となりますよね。
また「やらない理由を無くす」ために、まずはコーチ陣たちのためにテンプレートを作成し、実績を作らせながら「やるしかない」という状況を作り出した結果、学生さんが週に一度の全体ミーティングだけでは追い付かないほど企業との打ち合わせをされているのだとか。
佐藤さんご自身も現役を退かれた後、起業されるまでの間に様々な経験を積んだ経験がございます。恐らく、アスリートの中でも起業をするという方は稀と思いますが、そうした経験やノウハウが存分に早稲田大学レスリング部に活かされているのでしょう。
そんな佐藤さんが語るスポンサー集めをする上で重要なポイントを語ると「やることから始まる」とシンプルな点から始まると語ります。やらないから集まらないと語る佐藤さんはそうしないと検証ができないからと語ります。
考え、行動させる

佐藤さんの講演を通して感じたのは「とにかく選手に考えさせる」という事。そして「行動をさせる」という事。
それは当然、選手たちがスポンサー集めをするという中では当然のことと思います。ですが、ただがむしゃらにやるのではなく営業に行く企業への分析、業態などを把握すること、またレスリングという競技において相手を分析することなどは決して無関係ではありません。
また、様々なことを考えて取り組ませた結果、今年の東京オリンピックでも活躍した選手たちを輩出するという結果にもつながったのでしょう。その上で選手たちに求めているのは「プロ意識」という言葉。
スポンサー契約を結んだ以上は、試合に出ることが出来ない、結果を出すことが出来ないのは企業側にとってもメリットがありません。だからこそ、選手たちはそれをモチベーションにして努力を重ねる。こうした循環が生まれているのはそうした中に「人間力」が高まり、アスリートとして更にレベルアップをしてくれるという事を信じているからでもあるわけですね。
また、佐藤さんもただ選手たちが自然とモチベーションが高まるのを待っているだけでなく経営者の方に講演していただくことなどアクションを取っております。
「スポーツの中でトップになる人と、業界でトップになる人。絶対共通点があると思うんです」
佐藤さんは自らの経験から熱っぽく学生時代のことを振り返ります。学生時代には新宿三越に入っていた書店にて4,5時間にわたってメンタルトレーニングから自己啓発関連の書籍を読み漁っていたのだとか。
そうした経験があるからこそ、学生さんたちに純度の高い形でモチベーションを引き出そうとしているのですね。
そして、そうしたモチベーションから生まれた想いを元にして、一人でやらずにみんなでやる。いいと思った事をやってみる。というさながらベンチャー企業のように様々な挑戦へと当てる。
早稲田大学のレスリング部はただ競技をやるだけではなく、まさしく大学生としてある「社会に出た時の学び」にもなるよう様々な行動をされているのが分かりますね。
そして、佐藤さんの講演を聞きながら今現在、サッカーにおいて発生している出来事にも共通すると考えました。
それは、スパイクメーカーがプロ選手よりもYouTuberに提供するようになっているのです。メーカーからすると「プロ選手に用具提供しても価値はない」と思わされているという事。
Jリーグは全都道府県にサッカークラブをというコンセプトを持ってはいます。それは素晴らしいことですし、競技の普及という観点からとっても画期的なことです。しかしながら、Jのトップクラブで活躍できる選手は一握り。しかも、海外や代表に選ばれなければ必ずしもクローズアップされるわけではありません。
実際に槙野智章選手はその言動と行動から誤解されがちですが、プロとしてサッカー選手として自らがどう見られるかを真剣に考え、行動に移していますし、こうして選手たちがどのように「価値」を高めていくのか。佐藤さんからはアスリートだけでなく、私たちにもそのように問いているように感じられました。
一つの部活動としてだけでなく、教育の場としても大変すばらしい。とても画期的な取り組みだなと改めて感じさせられました。
まとめ
いかがだったでしょうか。早稲田大学レスリング部には他大学に無い熱量と活気の秘密はとにかく行動をし続けるエネルギーが秘められていたのですね。
現在、大学という大きな研究機関は再び見直され始めております。先日読売ジャイアンツは順天堂大学との業務提携が発表されましたし、大相撲では現在の荒磯親方(横綱・稀勢の里)が筑波大学の相撲部の練習場を借り、また筑波大学との共同研究も行うとされております。
「大学」という資産と、だからこそ思い切って挑戦できる環境。そして早い段階から身に付けられたプロフェッショナルとしての精神。一つ未来のアスリートにとってのプロトタイプとなるのではないか。そんな予感さえ覚えました。
佐藤さん、この度は素敵な話をありがとうございました!
先日行われました東京オリンピック。少しばかり別世界のような印象さえ覚えましたが、多くの選手が躍動し、感動をいただきましたよね。私も男子マラソンで大迫傑選手が現役ラストとなる走りをテレビで観戦することが出来て、本当に良かったと思っております。
さて、オリンピックも終わってしまうとアスリートはそれで「終わり」という訳ではありません。どんなアスリートにもきっかけがあり、そして目指すべき存在がいて、そしてやがては未来のアスリートや多くの人たちに「何かを与える」。
そうして繋がっていくことができるんですね。今回は、オリンピック出場経験を持ち、かつ現在はオリンピックアスリートのまとめ役を行っている方をゲストにお呼びしました。
フェンシング・ロサンゼルスオリンピック日本代表、日本オリンピアンズ協会理事の東伸行さん。なぜアスリートとなったのか、そしてオリンピック選手として活躍後にアスリートサポートを行っている現在の事など様々お話をお聞きしました!
スポーツが繋げたもの
東さんがオリンピックを目指したきっかけとなったのはちょっとしたことから。
たまたま、転校してきた同級生に水泳で勝ったことで「どこのスイミングスクール出身なの?」と言われたことをきっかけにして「水泳でオリンピックに出ます」と卒業文集に書いていたことなどもあり、元からオリンピックへの憧憬があったのかもしれませんね。
それからフェンシングと出会ったのが高校の時。
ご両親が「大学までついているから安心では」という理由で名古屋電気高校(現:愛知工業大学名電高校)に進学し、そこでフェンシングと巡り合いました。
やがてオリンピックが身近となって行ったのは、1979年に参加したユニバーシアードに参加した際のこと。オリンピックというものが身近な存在になり、1980年のモスクワオリンピックに西側諸国が参加ボイコットをしたことによってさらにオリンピックというのを強く意識するようになったのだそうです。
モスクワでの西側諸国のボイコット、報復するように4年後のロサンゼルスでは東側諸国のボイコット。東さんが参加した際にはナディア・コマネチさんも東欧から唯一参加したルーマニア代表の一人として一緒に食事をしたというオリンピックだからこその経験もされたのだとか(のちにコマネチさんはアメリカに亡命します)。
そうした経験を活かし、現役を引退後は和歌山県教育委員会に所属しながらもアスリートをサポートするために国際審判員を経験し、ジュニアアスリートの育成、車いすフェンシングのコーチング・国際審判員の活動も行い、今回東京オリンピックの組織委員会からパラリンピックの開会宣言を行うことに。
「英語だったらどうしよう」と緊張をされたそうですが、日本語でも問題なかったとのこと見事にその大役をこなされました。
徐々にオリンピックという存在が身近になって行く中で、一つの競技へと真摯に向き合われてきた東さんの積み重ねと時間の重みを強く感じる。そんな東さんの経歴と形を、私自身も感じました。
そしてオリンピックはスポーツを通して友情を築くことができる、と力説します。今回の東京オリンピック・パラリンピックも大会関係者からは「日本じゃないと出来なかった」と称賛され、多様性という一つのテーマの中でも非常に大きな意義を持ったのではないか、と東さんはお話をされておりました。
もしオリンピックを開催していなかったら……。という意見は今でもあります。果たして本当に開催した意味があったのか、ということは恐らく何年か経たないと分からない事でしょう。
しかし、1980年にモスクワオリンピックを日本がボイコットして以降、各競技は下降線を辿るようになりました。今回八村塁選手などで話題になったバスケットボールは「開催国枠」さえ無くなっていたかもわかりません。
オリンピックを開催したということで、多くのアスリートにとっては少なくとも「開催をされたことで繋げられるものがあった」。私は今現時点でそのように考えております。個人的には多くの人たちが日本という国に来てほしかったですが、こればかりは致し方ないですね。ですが、オリンピックで得ることが出来た教訓、また日本という国だからこそ表現できたこと。これらを活かす機会はまだまだ残されております。
2025年の万国博覧会は大阪で行われますし、2030年の冬季オリンピックは札幌市が立候補をしております。コロナウイルスの状況は不透明ではありますが、外国の方々が日本へと来訪される機会はまだまだこれから沢山あります。
その際にはまた手と手を取り合って友情を築くことのできる機会となるようにしていきたいですよね。
スポーツが秘めている「力」とは?
現在、東さんは長く携わって来られたフェンシングを子供たちに普及する活動も行われております。だからこそ、指導者としてスポーツの楽しさを教える。そして、人間としても豊かになって行くという事が大切と力説します。
「子供たちには早くにその楽しさを覚えてもらわないと。フェンシングやる前に筋力トレーニングをさせて……。それでは離れて行ってしまいますよね。ですから、早い段階で子供たちに伝えるよりも私たち指導者がいかに楽しさを伝えられることが求められているような気がします」
実際に東さんの息子さんも途中にフェンシングからバスケットボールでプレーしていたものの、その後高校からはまたフェンシングを始めたとのこと。そうした他のスポーツを経験することで得られる物というのもとても大切だということなんですね。
そのスポーツを経験、楽しさを伝えていくためにもSNSなどを通した発信は不可欠で、そうした発信をしていく事でマイナー競技はまだまだ広がって行くとも力説しておりました。そしてその信念はスポーツというものが持っている可能性を東さんご自身も信じているから。
「多くの人々に活力を与えられると私は信じております。特に車いすフェンシングでは四肢切断者に頸椎損傷者……。そうした人たちは言葉は悪いですが『人生死んでいる』と語っているんですね。だけど、スポーツをすることによって第二の人生が始まったというんですね。だから、その方たちにぼくは競技力を付けてほしい。そうすればその人が喜んでもらえるし、家族や友人も喜んでもらえる。障害者のコミュニティーにも活力を与えられる。スポーツというのは一つのツールとして、大きな物を持っていると思っております」
健常者だけでなく、障害者の人たちでもスポーツで一番になるために努力されて来た姿を見てこられた東さんだからこその言葉の重みを感じました。また、障害者の方々がなぜそうなったのかというストーリー、想い。そうした物もパラリンピックを通して語られたことで、多様性という面でも大きな意義があったと今回のパラリンピックについてもまた、東さんがお話されていたのは印象的でした。
実際、スポーツを通した多様性という点で印象深いエピソードがあります。
それはロジャー・フェデラーがかつて「日本のテニスがあなたのような選手が出てこないのはなぜ?」と記者会見で訊かれた時のことです。フェデラーはこのように返したそうです。
「日本にはシンゴがいるじゃないか」。
そのシンゴとは、今回の東京オリンピックでも大活躍だった国枝慎吾選手のこと。
車いすテニスでグランドスラムを何度も獲得し、オリンピックでも金メダルは4つを数える国枝選手を「世界一のテニスプレイヤー」としてフェデラーは認めていたのですね。
多様性とは少し異なるのかもしれませんが、スポーツという一つの分野で頂点に立った人として認められているのは素晴らしいことですよね。それもまた、スポーツが持つ一つの力なのでしょう。
まとめ
「次のオリンピックまでの限られた時間の中で、練習をしたり故障を抱えた選手はその治療をしたり。それによって周りのサポートしている人たちの存在があって、最高のパフォーマンスをしてもらって。そうすることでより良い社会になって行けるのかな。というのがぼくの想いですね」
真剣に、スポーツを通して世の中が良くなるのだという事を力説し、その深くて強い信念を文字起こしを通して何度も感じさせられました。実際にスポーツによって生まれてしまった悲しい事故は海外の歴史から見ると多くあります。サッカーなどでは黒人差別やアジア人差別を平然と行う人たちは現在に至るまで存在していることに目を背けてはなりません。
しかしながら、今回の東京オリンピックのように。そして時には内戦を中断させるほどの出来事が起きるように。何よりもスポーツの可能性を強く信じて伝えていく。
私たちにはそれを行うことこそが、未来のアスリートを生み、そして次世代へのバトンタッチを行うために求められていることなのかもしれません。
今回はとても長くなってしまいましたが、とても重くまた深い学びとなる機会になりました。東さん、とても素敵なお話をありがとうございました!
「センス」。
スポーツに限らずですが、世の中には様々なセンスに長けた人が多くいらっしゃいます。経営に政治的感覚。人間関係や日常の中でほんの小さなこと。間違いなく私たちには何かしらの「センス」を秘めていると言っても過言ではありません。
トップアスリートに限って言うならば、センスが卓越しているからと言って必ずしも成功したかというと、そういうわけでもありません。
8月にはこの「センス」をかつてトップレベルで活躍されていた方にお話しいただきました。千葉ロッテマリーンズにおいてリリーフ投手として活躍された荻野忠寛さんをゲストとして迎えました。桜美林高校から神奈川大学、日立製作所と強豪チームを渡り歩き、そして現役を退かれた後も野球に携わり続ける荻野さんが語る「センス」とは一体どのようなものなのでしょうか?
荻野さんが語る「センス」と、磨いた先にある「想い」とは。
まず荻野さんはセンスに関する能力を3つに定義しております。
・イメージを作る能力。
・そのイメージに寄せることができる能力。
・様々な知識を持っていること。
何よりも大切なのは「考える」という事。そしてセンスを磨くことが出来れば、どんなことにも成功することに繋がりますよね。
例えば、こうした文章を書き上げるときにも同じことが言えるんです。どうすれば分かりやすく伝わるかを主眼に置きながら完成形を想像し、そのイメージへと寄せていく(文章を作成する)。当然そこには知識という引き出しも重要ですし、また一つのパターン化ということも思考しながら書き上げる形を取ります。
とてもシンプルに語るならば、センスを磨くというのは「思考する」という事に繋がるのかもしれませんね!
では、なぜ荻野さんは「センスを磨く」ということを今行っているのでしょうか。それは、千葉ロッテ退団後、日立製作所に復帰された時のこと。
実際にプロ野球選手も多く輩出している日立製作所野球部はやはり高校・大学で活躍してきた素質の高い選手たちが多く在籍をしており、2016年には都市対抗準優勝も成し遂げたほどの強豪チームです。
しかしながらそんな日立製作所を始めとした、社会人からプロ野球へと入団できる選手というのは決して多くはありません。荻野さんもプロの選手が行っているようなトレーニングを実際に教え、そして指導をしていたのですが、それでも中々上手く行かなかったというのが原点にあったとのこと。
そこから「センスを変えないと」という気づきを得て、現在荻野さんが自ら考案された「スポーツセンシング」という「センス」を磨くということにフォーカスを当て現在多くの方の指導に携わっているのですね。
実際に社会人選手でプロの人たちが見るのは「1年目から活躍できるかどうか」。荻野さんもプロ1年目から活躍されたように、アマチュアでのカテゴリーが上がれば上がるほど、求められるものが大きくなるのが現状です。
実際に源田壮亮選手やオリンピックで抑え投手を務めた栗林良吏選手、メガネの捕手として大活躍された古田敦也さんに「オレ流」こと落合博満さん。
社会人出身の選手で素晴らしい成績を残されている方は1年目から活躍をしており、荻野さんも例外にありません。また、プロ野球という突き抜けて素晴らしい能力を持っていた選手たちと触れ、様々な会話から得た経験と社会人での経験。そこからセンスという重要なキーワードを見出すことが出来たわけなんですね!
磨くべきセンス。荻野さんが思う今後スポーツのあるべき姿とは?
そんなアスリートの競技力向上などを含め、センスという部分から選手を支える荻野さんは、スポーツ業界の問題についても言及してくださいました。
スポーツという文化自体が根付いていない事。本来スポーツはエンターテイメントで、多くの人が楽しむことができる物でもあります。また、健康面からも極めて大きな効果があることは言うまでもないことですよね。だからこそ、現在のスポーツ業界に蔓延る様々な問題に荻野さんは警鐘を鳴らしておりました。
例えば、エンターテインメントとしてのスポーツ業界のビジネスの考え方、練習時間が長いという問題、指導者たちが取り巻いている問題点。遥かに先んじるヨーロッパと比較をした際に大きな課題があることは間違いありません。
実際に荻野さんやなるちゃんからも出た野球の「プロアマ規定」など、いびつなルールが存在していたことによって競技力向上が妨げられてきた部分があります。日本人選手が即座にメジャーへと行けないのもそうした環境があるからなのです。もちろん言及されていた物のいくつかは改善されつつありますが、興行という面においてはまだまだ変わらなければならない部分もまだまだ多くございます。
荻野さんがプロ野球という大きな舞台を経験されて見えてきたものがあるからこそ、まだまだ変わらなければならない。それらを如実に感じました。
それは実際に、スポーツチームが出来たことによって行政にまで良い影響を齎し、街が活気づいたという事例が日本にもあるからこそなのです。それこそが、茨城県鹿嶋市。鹿島アントラーズの本拠地と言えば良いでしょうか。
当時は住友金属鹿島という、実業団でも2部に在籍するチームだった鹿島アントラーズ。当時、漁業と鹿島臨海工業地帯などはあるものの、決して活気のある街であるとは言い難い部分がありました。
しかし、1993年にJリーグが発足されることになったこと、そこに「オリジナル10」というJリーグチーム選ばれたこと。ワールドカップでも大活躍したレジェンドであるジーコが入団したこと。そして、優勝候補と呼ばれたヴェルディ川崎にあと一歩のところまで追い詰めたこと。
これらすべてが相まって、地域が活性化し鹿嶋市にある鹿島学園高校(通信制学校もある比較的大きな学校ですよね)はサッカーの強豪になり、野球部も2021年の夏の甲子園に初出場を達成するなど、教育機関とも良い連携を取り改善した結果と言えるでしょう。しかも、今回のコロナウイルスによって、大きな医療機関が出来上がったことで鹿嶋市の医療にも良い影響を及ぼしたという思わぬ効果もありました。
もちろんこれらは自治体からの援助やそれを受け入れられる土壌があったからではありますが、こうしたスポーツチームだけでなく全員で一つになって取り組むこと。
それらがとても良い影響を齎すと言えるのでしょうね。
まとめ
荻野さんはスポーツに関してより良いものにしていきたい、という想いが落ち着いた口調の中からそうした情熱も感じることが出来ました。
「センスを磨く」というアプローチから、今後スポーツに限らずに自分自身が得意とする形で様々な成功をされていく方が増えてくれると良いな。そんなことを思います。
それももしかしますと、荻野さんがボビー・バレンタインというメジャーリーグでも実績を残された監督の下でプレーされていたからなのかもしれません。そこから得た経験、想い。よりこれからもぜひとも還元していただけると嬉しいですよね!
荻野さん、この度はお忙しい中様々な気づきと学びになる機会をありがとうございました!
一般的にスポーツを「エンターテイメント」とというジャンルで見る人は決して多くありません。そうした視点を語ると「サーカスのライオンと神聖なるスポーツを一緒に考えるな!」なんて人も出てくるくらいですからね(これはボクシングジムを運営されている方から言われた本当の話です)。
ですが、個人的にはスポーツこそもっともエンタメとしての可能性を秘めており、またアスリートはそういう点で大変素晴らしいポテンシャルを秘めていると称しても過言ではないでしょう。
エンタメとしてのスポーツを考えるとき、やはりそれをされている方にお話を聞くのがベストですよね。ということで、7月にかつてテレビでも大活躍をされた池谷直樹さんにご登壇いただきました!
池谷さんはお兄さんの幸雄さんと共に体操選手として活躍。現役を引退されてからは「スポーツマンNo.1決定戦」にてプロアスリートおよび芸能人の両部門において優勝を達成。MONSTER BOXでは世界記録保持者としても知られておりました。
現在は、株式会社サムライ・ロック・オーケストラを経営。元アスリート・ダンサーなどで構成されたメンバーにて筋肉と技でストーリーを表現する台詞の無いミュージカルの公演を全国各地で行っております。
そんな池谷さんだからこそ語るスポーツとエンターテイメントの世界とは。
アスリートが社会で生きるという「難しさ」
スポーツマンNo.1決定戦というお正月の特番、それも池谷さんという個人をピックアップして紹介してもらえる状況。10年も続いたということであることが出来た知名度。そういうものを活かして、今も活動をされていると自己紹介をされた池谷さん。
芸能という世界に飛び込み、現在に至るまで活躍されております。が、MONSTER BOXでの活躍などを含めても名前を覚えてもらうことの大変さを身に染みて感じていたようです。スポーツの世界から芸能界へと飛び込む方が多いという一方で、生き残るということがとてもシビアな物でそこには運も当然必要と力説をしておりました。
実際にタレントさんを始めとするテレビで活躍をされている方や、アスリートが成功をする確率は本当にひと握り。そこには大きなことを成し遂げたからこその、言葉の重みも感じました。
ではなぜ、サムライ・ロック・オーケストラを運営しているのでしょうか。そこには実に池谷さん独自の考えから来る、アスリートのセカンドキャリア支援があったのです。
「平たく言うと、体操選手がバック転や宙がえりをして飯を食っていけるような、環境を作りたいということなんです」
実に明快で思わず膝を打つような感覚になったのは、恐らく池谷さんがそうした経歴を辿られたからこそなのだ、と思います。体操選手としての活躍はもちろんですが、池谷さんはまさに「自らがアスリートとして培ってきた物で、多くの人に名前を覚えてもらった」ということ。
だからこそ池谷さんが「日本版シルクドゥソレイユ」という現在のサムライ・ロック・オーケストラのようにセリフが無くても楽しめるエンターテイメントを作り出し、そしてアスリートの方の「受け皿」として活動もされているというわけなんですね!
一方で、池谷さんはそれが難しいという事を噛みしめながら語ってくださいました。人生で一番楽だったのが「実業団で現役選手として活動していた頃」と振り返るように、社会に出ると様々な事を自分でしなければなりません。いわゆる自己責任が多く生まれるわけです。実際に元プロ野球選手で現在はタレント・スポーツライターとしても活躍される高森勇旗さんもその難しさを語るように、あれもこれもとやらなければならないというのは想像を絶するものがあります。
それでも、そのような活動をしていることを「自分の運命だから」と語る姿は少しでもアスリートのセカンドキャリアを良くしたいという想いも感じさせるものでした。
「動いていかないとダメ」
後半戦は、息子さん匠翔さんの話から始まります。既に19歳ながらも現在地方競馬の騎手として活躍されている匠翔さんが置かれている環境と、かつて池谷さんが置かれていた環境。こうした物の違いをしみじみと語ってくれました。
「彼らって新人戦でメダルをもらえるんですけれど、そのメダルは純金なんですよ。自分が貰ったメダル、メッキですよ。そこが面白いなと思ったんです。競技一つ違うだけで、それだけのお金が動く、ということなんです。やっぱりその組織自体がお金を持っている。これが、アマチュアとプロの違いなんですよね」
そこから、池谷さんは子を持つ「親」として、そしてそこから見たスポーツ業界としての課題を噛みしめるように語ります。池谷さんのお子様も、そうした世界の中で様々な価値観に触れて、学び成長を遂げているという事を感じながら「行動しないとダメ」と語ります。
「フィギュアは頑張っているよね。水泳も頑張っている。ただ、これが体操だとどうでしょうか? 体操選手をメディアで見たことあります? NHKで流れているようではダメ。民放に出ないと。メディアが食いついてくれるような価値があるわけじゃないですか。マイナースポーツの方々はどうやったらできるのか? 東京オリンピックはそうしたチャンスだと思いますね」
確かに、東京オリンピックは国を挙げての施策となり、多くの会社がスポンサーとして選手や大会をサポートしておりました。そうしたバックにある物事や誰がサポートしているのかという事も大切と説いておりました。
「動くのって大変なんだよね。大変なんだけれど、誰かが動かなければいつまでたっても普及しないんですよ。それをどうやって行くかを考えないと」
この話を聞いて思い出したのがバスケットボールの過去に実際にあった話です。昔、こんなことがありました。
成長を拒んだ結果
それは今から30年前、スラムダンクがブームになった時のことです。集英社に日本バスケットボール協会からこのような公式文書が届きました。
「バスケットを変な目で見られる。非常に迷惑だ」
※もちろんスラムダンクはれっきとした少年漫画であり、変な漫画ではないということは明記しておきます。
また、スラムダンクが流行した台湾や韓国ではバスケットボール代表の強化が進んでしまったなんて事があるくらい影響力はありました。
結果、キャプテン翼を始めとする様々なサッカー漫画のブームに乗っかって改革をしたサッカーとは異なり、2007年にはJOC(日本オリンピック委員会)から、2015年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)からの無期限資格停止処分が下されるまでになってしまいました。
もちろん、上記の文書だけが全てではなく様々な要因がそこにはあるのですが、本来存在していたチャンスなどを蔑ろにしてしまったことによって、バスケットボールは本来より進化しても不思議ではなかった30年という年月を無駄にしてしまったのです。
もっと言えば、今回の東京オリンピックで女子バスケが金メダルを獲得していたかもしれないのです。
あれだけNBAが騒がれていたのに、中継が無いのも不思議で仕方がなかったのですけどね。自分としては一度で良いですからマイケル・ジョーダンの活躍をリアルタイムで見てみたかった。それが残念です。
行動をせずに、成長を拒み続けるとこうなるということが良く分かります。
今まさにその「失われた30年」を取り戻すために、様々な方々の尽力によってバスケットボールが強くなり、そして普及に尽くされている方々には頭が上がりません。
「力」のある所に自ら飛び込み、そして形にしていく。もちろんそれは本当に運にも左右されてしまうような物事であることは否めません。ですが、諦めなかった人たちの下にしかビッグチャンスやラッキーは飛び込んでこないのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
池谷さんのざっくばらんな会話と様々な世界を見てこられたからこその視点。それが様々考えさせられることの多い機会となった。そのように思います。
「話し合ったことをそこで終わらせずに行動に移さないと」。
その言葉はどのような物事にも、もちろん自分にとっても耳の痛い話でした。変わる事、そして行動する事、そしてそれによる痛みが伴う事。その「痛み」は決して望ましい事ではないのかもしれない。ですが、成長をしようと挑み行動する事。「少しでも良くしたい」と考えることが何よりも人を成長させ、そして物事においてプラスになる事を池谷さんは教えてくださいました。
中々サムライ・ロック・オーケストラにお伺いできるような状況でも無いのですが、自分もお時間がある際には是非お伺いできると良いな。そんなことも思いました。
池谷さん、貴重なお話をありがとうございました!
梅雨も明けて、いよいよ夏本番。皆様は夏バテになったり、食が細くなったりしていないでしょうか。
例えば、大相撲の力士にとって「食」というものも稽古(トレーニング)の一つとして捉える風潮がありますし、実際にダルビッシュ有投手は自らが口にするものにも強いこだわりを持っています。
また、健康を保つ上でも「食」というのは極めて重要な部分を占めておりますよね。
何分自分自身も向き合ってきていなかったからこそ、今回も深い学びとなりそうです。
今回はそんなアスリートの食を支える栄養士の方をゲストに迎えて、お話をしていただきました。
Athlete Meal 360°ディレクター、株式会社OTOMO 代表取締役である管理栄養士の橋本恵さんにご登壇いただきました!
日本人の食事の「ベース」とは?
橋本さんはサッカー・ラグビー・女子の長距離陸上を始めとした選手たちのサポートから始まり、オリンピック日本選手団に日本食の提供を行うなど、まさしく最前線に立ち活躍をされてきた方の一人。
時には選手の海外遠征に同行し、食事を作ることもありました。
冒頭で見せていただいた写真にはとても楽しそうに写る選手と橋本さんがいらっしゃり、その状況が窺えます。
しかしながら「失敗も多かったですね」と橋本さんは振り返ります。
大会前にある選手から「トンカツが食べたい」と要望があった際に、小麦粉とベーキングパウダーを間違えて買ってしまったのだとか(英語圏で無いところだったそうなので、何を買えば良いか分からなかったそうです)。結果、選手から「……苦い」と言われてしまったものの、選手はメダルを持って帰ってきてくれたというエピソードがありました。
橋本さんは今回、何とスペインから参加してくださっているように、現在もアスリートに請われて英語圏でない国にも飛んで行くのだとか。こうした失敗を活かしながら、このような事が起きないように研修をしないかと呼びかけたり、困るのを前提として行っているので、どうにか人に助けて貰うようにしているとのこと。
特にヨーロッパと言えど、大都市でない限り英語が通じる土地というのはほとんどありません。しかも、合宿所の場所はむしろ交通などは不便なところがほとんどです。業務外で困ることが多くあるということが分かっているからこそなのでしょう!
また、日本人アスリートの見地に立って、ベースとなっているのは「日本食」であると橋本さんは考えます。なるちゃんも現役時代は一週間トータルで考えながら、食事のバランスを考えていたそうですが、橋本さんはそこから「日本人は“あるもの”を使ってバランスを取っているんです」と語ります。
では、それは何なのでしょうか。
古来からある考えをベースに食事を楽しむ!
日本人の基本は「一汁三菜」。これは室町時代に日本の食事のベースとなっているとのこと。アスリートの栄養のベースとなっているのはこれなのだとか。それから、橋本さんはさらに投げかけます。
「このベースとなっているのは何でしょう?」と。確かに、日常の中でそこまで意識して食事を取っているなんてことは無いですよね。
それが「ご飯・お汁・おかずが三つ」。これが食事の基本となっているわけなんですね。
そして、調理方法も「五味五法」がベースとなっております。
五味とは「甘味・塩味・酸味・苦味・旨味」という味の種類、五法は「生・蒸す・焼く・煮る・揚げる」という調理法。
こうしたものを組み合わせながら、私たちは食事を楽しんでいるわけですね。
ですが、イチローさんのようにとてつもない偏食家の選手もいれば、世界バンタム級を10度も防衛した長谷川穂積さんのように濃い味付けが好きな選手もいらっしゃいます。つまり、画一的なものはないというのが答えでもあるわけです。個々人にとってのベースを知ることはとても大事ですよね。では、それはどうすれば知ることができるのか?
その質問に橋本さんはこのように答えてくださいました。
自らの身体の「センサー」を高める
「選手たちには4種類の“計”を持ってくださいとお願いしています。体重計・計量カップ(スプーン)・体温計・温湿度計。これらで色んなものを計ることで、自分というものが見えてきます。その上で食事をレコーディングする訳なんです。話を聴き、データを取ってもらうことを大切にしています」とのこと。
これには選手がどうしてそういう食事を取っているのかという意図を知るため。そのためにはまず自分を知らなければならないということなんですね。
例えば、ウサイン・ボルトさんは北京オリンピックではマクドナルドのチキンナゲットばかりを食べていたことで有名でしたし、内村航平選手はブラックサンダーばかり食べていたなんていうとてつもないエピソードがありました。
ご自身の中にある「センサー」を感じ取ること。どういう意図なのか、何を欲しているのかを知ること。これはどんなアスリートにも通じることなのかもしれません。
アスリートにとって「食事」とは?
アスリートにとってもとても食事は大事なことですが、橋本さんはさらに「あなたにとって」という部分に主眼を置いているようです。それは例えば、サッカーという競技でもポジションによっては運動量も消費カロリーも全く異なりますし、長友選手と本田圭佑選手では当然走行距離も異なりますよね。
だからこそ、選手個々の特性が極めて重要になってきているわけなんですね。
しばしばダルビッシュ投手は自らのトレーニングに関する考え方を公開はしますが、決してそれを強制はしません。それはその人にあったトレーニングが大事だからと考えているからなんです。
また、現在ネットなどで出回っているトレーニングや栄養素に関する論文は、必ずしも鵜呑みにしてはいけないと警鐘を鳴らします。
「昨年、UEFAが育成年代に向けた共同声明を出したのですが、それを見てみると炭水化物の量が圧倒的に足りないんですよ。私たちは情報を“正しく”キャッチしないといけないし、自分をモニタリングすることはとても大切なんです」と語ります。
ただ、食事を機械的に取ることが良いというわけではありません。やはり作法であったり、食べ方はとても大事であると力説します。
実際にイチローさんは「日本人だから」という理由で、箸の持ち方をとてもしっかりと意識しているのだそうです。エレガントに食べる姿は、やはり他の方からも良い印象を与えるし、またその姿勢が選手たちに「お金を落とす」という流れに繋がってくるのでは?と橋本さんは語ります。実際に美味しい食事から稼ぎたいという意識に繋がるからこそなのでしょうね。
また、これは個人的な意見ですが食事を楽しく摂る事もとても大切だと思います。
例えば、駒澤大学の駅伝部ではあの厳しいことで有名な大八木監督も一緒に食事を摂るそうです。それは厳しく練習をする一方で、食事中は楽しい話に花を咲かせ、チームとしても一体感を生み出すことが目的なのだとか。
これによって、より競技にも打ち込むことができるようになるという配慮もあるわけなのです。実際に、平成初の箱根駅伝4連覇を達成したことからもそれは明らか。また、現在でも他の大学ではすぐにエースとなることができるレベルの選手が揃っております。食事一つとっても、その強さが覗えますよね。
また、サッカーの日本代表では、専属シェフである西芳照さんが選手たちのためにライブクッキングを行い大好評。それまで残されることが多かった食事も完食してくれるようになり、ワールドカップなどで大会終了後には「西さんありがとう」という寄せ書きまで送られたほどだとか。
ただ食事を摂るだけでなく、見られているという意識やチームで楽しく食べるという意識がもたらす影響は、遥かに齎すものが大きい。決して外すことが出来ないからこそ、偉大さを知りました。
まとめ
とても明るく、そして分かりやすくお話をしてくださった橋本さん。どこを抜き出せば良いのか分からなくなるほど、内容の濃くそして興味深い講演に、つい私も引き込まれてしまいました。
たかが食事、されど食事。改めて食事からパフォーマンスを見直すということを、ぜひともしてみると良いのかもしれませんね!
橋本さん、お忙しい中(しかもスペインから!)講演いただき、ありがとうございました!
(文:金子周平)











